患者様の声patients of voice

2016年 8月

  • 2016.08.28

    年齢:37歳 妊活期間:1年

    三宅医院 スタッフより

    (本文)
    明日、38w6dで予定帝王切開のため、入院します。今回は2人目です。1人目の時、採卵検査薬が陽性にならないまま生理が来て、三宅医院の不妊外来を訪ね、「排卵しているけど検査薬に出ない人もいる」と聞いて安心したのを覚えています。2人目を考えるなら早いうちからまたお世話になろうと決めていました。

    1人目を授かった時、妊婦さんや赤ちゃん、小さい子を見るのがつらかったのですが、逆の立場になった時、形成前の待合で待たせてもらえるのはありがたかったです。

    今回はクロミッド→HCG注射→タイミングをくり返しました。
    妊娠した周期ではいつもに比べて卵胞の育ちが遅く、私はあきらめていました。が、先生方は「大きくなっているので育ててみましょう」と言って下さり、ゴナビュールを何回か打ちました。それで妊娠できたので、先生方に授けていただいた、と強く思いました。

    出産予定日が確定した時、予定日が偶然私自身の誕生日でした。それに清川先生が気付いて下さり、「運命的ですね」と微笑んで下さったこと、上の子が3才になった頃、「上のお子さん、もう3才ですね」と言って下さったこと、注射を打つとき、看護師さん方が「赤ちゃん来ますように」「痛くてごめんね」と言って下さったこと、落ち込みがちな心をふっとすくいあげてくれる気遣いがとてもありがたかったです。

    妊活中はどうしてもそこに意識が集中してしまい、精神的につらい時がありました。休んでもよい、と思ったり、家族で気晴らしに旅行に行ったり、前回は心理カウンセリングも利用しました。つらい時はその思いを解放してあげてほしいと思います。知らない間に思っているより頑張っているものです。本当にありがとうございました。
  • 2016.08.17

    年齢:42歳 妊活期間:2年2か月

    三宅医院 スタッフより

    (本文)
    私は40歳から妊活を始めました。29歳で結婚しましたが、結婚時から30歳代は職場で責任ある仕事を任され、日々仕事に没頭していました。40歳を過ぎてラストチャンスだと思い始め本格的な妊活を思い立ったのと、当時の部署は体力的にきつくなり、体力的にも時間的にも余裕がある部署への異動を願い出て、望み通りの部署へ異動できたことで、不妊治療を開始することができました。

    開始年齢が遅かったため、検査後はタイミングはとばしてすぐに人工授精から始めました。同時に今まで本当に適当であった食生活を改め、毎日の飲酒も控え、できるだけ栄養のバランスが良い食事をするように心掛けるようになりました。毎月、人工授精を受け、3回受けた後は迷うことなく体外受精の準備に入りました。採卵は2回行いましたが、1回目は卵子3個を1個づつもどしました。

    年齢の割に卵子のランクはAAで期待していたのですが、全てリセットになりました。この頃から卵子が良くても体が良くないと着床しないと考え、不妊治療に特化している整体とはり治療を受けるようになりました。

    そして2回目の採卵では6個の卵子が育ち、全てのランクがAAですごくホッとしました。最初に戻した卵子が初めて着床しもう嬉しくて、これで不妊治療を卒業できると思いました。しかし、8週でも心拍音が聞こえず、まさかの流産・・・

    流産することは想像しておらず、心づもりができていなかったため、この時のショックは今までリセットを聞いてきた時以上のものでした。でも、私でも着床できることが分かったということをプラスに考え、これまでと同じように、1日泣いたら後は淡々と卵子をもどしていくだけと割り切って、残りの卵子が無事に着床するように体調に気を付けながら治療を続けました。そて、ついに5個目の卵子をもどした時に着床しました。でも前回の流産のことがあったので手放しで喜べず、心拍音を聞き、3ヶ月を経過して、徐々に不安が薄れていっている状況です。

    自分の経験を振り返ってみて思うのは、治療を病院任せにせず、自分の意識を変え、食事、サプリ、冷え対策、整体、はりなどいろいろ試してみたのが良かったのではないかと思います。

    不妊治療は先が見えず、努力して確実に結果がでるものではないので、どうすれば良いか分からず、途方に暮れることも多いと思います。私もそうでした。私の周りには同年代でも未婚だったり、病気で子宮をなくしていたり、不妊治療をしたくてもできない人が何人かいます。自分はできる環境にいるだけでも恵まれていると思い、考えても仕方ない不安は考えないようにし、自分ができること、やるべきことを毎日行うようにしました。
    皆様の願いが少しでも早く叶いますように。

    最後になりましたが、生殖医療センターの先生方、スタッフの皆様大変お世話になりました。三宅医院に通うことができて本当に良かったです。
  • 2016.08.06

    年齢:32歳 妊活期間:2~3年

    三宅医院 スタッフより

    (本文)
    1人目は自然妊娠でしたが、2人目を考えているときに主人が精巣癌になり抗癌治療をする為、精子の凍結保存をすすめられたのが始まりでした。
    精子の状態から顕微受精しか方法がないと言われた時は、顕微受精に対し不安があり悩みました。しかし2人目ができたらいいなと思い挑戦しました。

    はじめは私が20代で1人目が自然にできているので、すぐできるだろうと軽く考えていました。1回目は着床してくれて妊娠判定を頂いて喜んでいたのですが、心拍が確認できませんでした。私の薬の使い方がダメだったのかもしれないと悩みました。
    それから2~4回目は着床もしてくれず泣いた事もありました。

    4回目でダメだったら諦めようと決めていたので家族にももうやめたと話をしていました。しかし主人も私も4回目でダメだった事が本当にショックで話し合い、上の子が6才になるまでにできなかったらその時は諦めよう、もう少し家族にはナイショでがんばってみようという事になり5回目に挑戦しました。それまでは特に何もしていなかったのですが、5回目の挑戦時には体を冷やさないようにレッグウォーマーをしたり、漢方の「当帰芍薬散」をのんだり、移植の前日によもぎ蒸しに行ったりしました。

    5回目でやっと妊娠判定を頂いて心拍確認もできました。
    平成27年9月に移植をし、平成28年6月に無事に出産する事ができました。
    5回目は主人と私以外は誰も移植した事を知らずプレッシャーがなかったのが良かったのかもしれません。移植後に「体の調子はどう?」と聞かれていた事もストレスを感じていたのだと思います。(家族や親戚によく聞かれていました)

    不妊治療は長くかかりましたが、注射など時間外でも受け付けてくれたり、先生方、スタッフの方が笑顔で話しやすかったりしたのでがんばってこれたと思います。
    不妊治療をはじめた時の私は5回も挑戦するとは思っていなかったのですが、出産をした今、本当に諦めずがんばって良かったと思っています。卵の時から知っているので不思議ですが、本当にかわいい子に出会えて幸せです。お世話になり本当にありがとうございました。
  • 2016.07.15

    年齢:34歳 妊活期間:1年

    三宅医院 スタッフより

    (本文)
    私は2人目不妊でした。広島の方で不妊治療を行い、その時に子宮筋腫も見つかり、医師からは筋腫が不妊の原因とはいいきれないけれど気になるようならと手術をすすめられました。実際手術を行いましたがとることが出来ず、又、そこは産科も一緒だったので妊婦さんを見るのが苦痛になり休むことにしました。
    それから半年後に自然妊娠しましたが9週で流産。それからはほぼあきらめもでてきて、1人を大切に育てていけばいいと思いはじめた頃、知人から三宅医院を紹介されました。

    第一印象は、とりあえず妊婦さんがいないことが精神的に落ち着き、前回の所は話もろくに聞いてくれなかったのに、看護師さんや清川先生が話をしっかり聞いてくれ希望も言えて本当に三宅医院に来れただけで救われました。又、子宮筋腫が分かるとすぐ大福クリニックでの検査をしてくれて、小田先生が「これがじゃましてるから妊娠しにくくなっている」とはっきり伝えてくれ、手術で切除することが出来ました。

    再度三宅医院に戻りタイミング指導を開始しました。岡山までは遠かったんですが、先生の顔を見るだけで安心しており、お正月に「ちょっとだけ通院を休んでもいいよ」と言ってもらえて、心も体もゆったりすごした結果、次の診察で妊娠していることが分かりました。私の基礎体温の付け方があまり良くなくて流産かとの疑いもありましたが、上手く育っている様で無事卒業となりました。

    私が三宅医院の方に出会えたことは人生が180度がらりと変わった出来事でした。
    私の気持ちを考えて頂き、感謝しております。本当にありがとうございました。赤ちゃんが産まれたら写真送ります。たくさんの子供が欲しいと願う人達のこれからも光となって下さい。
  • 2016.06.27

    年齢:38歳 妊活期間:5か月

    三宅医院 スタッフより

    (本文)
    私と夫は晩婚でしたので、入籍後すぐにこちらの病院を夫婦で訪ずれました。
    検査の結果、夫の方に原因があると判明し、夫婦で落ち込みましたが先生やスタッフさんのお言葉に励まされ、すぐに体外受精に進むことにしました。
    私自身、幸いなことに今まで生理で悩んだことがなかったので、初めてのホルモン治療は不安でしたが、温かいスタッフさんの対応で乗り切ることが出来ました。

    しかし、私の方の卵巣年齢が実年齢より悪かったせいなのか、卵が5個しか出来ず、ダメ元で採卵に臨みました。
    幸いなことに5個とも受精し、その内の3個が胚盤胞まで育つことが出来ました。
    その内の1個を自然周期で戻し、現在、順調に育ち妊娠6か月を迎えました。少ない数で不安一杯でしたが、先生から「おめでとうございます」と言われた時は本当に感謝の言葉もありませんでした。
    先生、スタッフさんの温かい対応、培養士さんの技術のおかげで無事卒業することが出来ました。

    本当にありがとうございました。

    今、がんばっておられる方、不安な事がたくさんあると思いますが、その不安を一人で抱えず、どんな小さな事でも先生やスタッフさんに相談してみてください。
  • 2016.05.12

    年齢:33歳 妊活期間:2年

    三宅医院 スタッフより

    (本文)
    結婚から4年、初めの2年はいつか授かるだろうと思っていましたが、ふといつになってもできない、周りは子供が生まれているのを見る内に、このままではいけないと思う様になりました。友人に聞くと、結構みんな婦人科でタイミングを見てもらっていると知り、通い始めました。

    それでもはじめはタイミングさえ見てもらっていたら半年位でできるだろうと高を括っていました。半年後、授からない私は焦っていました。そこで不妊治療専門の三宅医院を紹介してもらいました。転院後、様々な検査をしつつタイミング療法をしてもいました。検査では特に大きな異常や確実な不妊の原因は出ませんでした。強いて何かおかしいのかなと思ったのは、“卵管造影検査”でした。「すぐ済みますよ」と言われたのになかなか終わらず、先生は苦戦している様でした。造影剤が体内に入らないとのことでした。後日違う先生でも入らず岡山大学病院を紹介されました。そちらでも苦戦され、最後何とか片側の卵管に造影剤が通った所で「片方は卵管が通っているということですので」ということでこの検査は終わりました。

    その時は何で液体が体に入りにくいのかもっと詳しく調べてもらえないのかな?と不安になりましたが、それで終わったのでそういうものなのかな?私の体は妊娠できると判断されたのかな?と思うことにしました。その後また三宅医院に通ったのですが妊娠の兆しは一向になく、遂に人工授精を決意しました。

    出張の多い主人を何とか私の排卵日辺りを都合をつけてもらい、5か月試しました。しかし全く妊娠せず、精神的に参ってしまい、一度通院を休もうかと思いました。周りに相談すると「これだけ頑張ったのだから後もう少し一気に挑戦してみよう」と背中を押してもらい、体外顕微授精に挑みました。すると今まで全く妊娠できなかったのに、たった一度で妊娠できました。奇跡だと思いました。

    私が妊娠(の可能性が高いの)を知ったのはかなり早い段階でした。卵子を体から取り出した3日後くらいから妙な満腹感がありました。その後胚移植をしてもらい1週間しない内にお腹が膨れだし、体重が増え始めました。(副作用?)と思いウォーキングしていると下腹部の痛みで全く動けなくなりました。翌日三宅医院に行くと「“卵巣過剰刺激症候群”という病気ですぐに入院です」と言われました。お腹に水が溜まっていたのです。ただ、同時に先生は「この段階でこれだけ症状が出ているということは妊娠の可能性が高いです」と言って下さり、すごく嬉しくなりました。(どうか、このまま妊娠して、着床して)と祈りました。